イベント(英語)
オンラインイベント:認知文法から考える「意訳/直訳」問題 ―「直訳」は本当に「直」なのか?―
講師:
平沢慎也 先生(慶應義塾大学専任講師)、 野中大輔 先生(工学院大学学習支援センター講師)
日時:
2022年9月11日(日) 14:00 - 16:00
場所:
オンライン
こちらのイベントは終了しました。
お申し込み・ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。
【2022/09/29 開催レポート掲載】
「講師からのコメント」と、「お寄せいただいた質問と、講師からの回答」を掲載しました。
●講師からのコメント
先日の講演会にご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。以下Q&A形式で、いただいたご質問の一部にお答えします。参考になる箇所がありましたら幸いです。
今回、回答で言及する関係で、講演会のハンドアウトの文献リストのみ公開いたします。講演会の内容全体に関しては、一般向けの論文にまとめ、2023年内に無料アクセス可能な形で公開する予定です。
●お寄せいただいた質問と、講師からの回答
※下記、ハンドアウト(資料)への言及がある回答もありますが、ハンドアウトはお申し込みの方のみに配布し、公開はしておりませんのでご了承ください。
文献リストはこちら >
Q:今回の講演で言及された「どういう場面で用いる表現か」ということに関して、英語教師が参照できるような文献はあるでしょうか。
A:私たちが月刊誌『英語教育』で担当した連載記事「実例から眺める『豊かな文法』の世界」(2021年4月号から2022年3月号、大修館書店)は、参考にしていただける部分があるかもしれません。熟語的な表現については、『アメリカ口語辞典』(朝日出版社)という辞典に優れた説明が載っていることが多く、私たちもたびたび参照します。ただ、もっとも重要なのは、実例に触れて使用場面を確認したり、同じような表現を集めて観察するといったプロセスかと思います。どんな文献を見るにしても、そのようなプロセスが必要なことには変わりませんし、また、私たちとしてはそこが一番楽しい部分であると思っています。
Q:COCA(The Corpus of Contemporary American English)の活用事例について、翻訳する際非常に役立ちそうなのでご紹介いただきたいです。
A:「事例について」というご質問への回答になっているかわかりませんが、COCAの使い方について知りたいということでしたら、以下のような文献、ウェブサイトがあります(COCAの検索ページの仕様はたびたび変更されているため、ここで紹介されているものと現在の検索ページには若干の違いがありますが、使用方法に大きな違いはありません)。
『英語教師のためのコーパス活用ガイド』(大修館書店)
「COCA を使ったコロケーションの検索」(実践で学ぶ コーパス活用術 14 | 研究社 WEB マガジン Lingua リンガ)
Q:英語母語話者がひとまとまりで参照していると考えられる言語単位(”The river burst its banks” や “Look at …” など)を特定して意味を理解するという内容が述べられていましたが、中高生に英語を教える際にこのような知識はどのようにして教えるのが適切でしょうか。もし、そのような考え方を体験的に習得できる教え方などがありましたらアドバイスを願いたいです。
A:まず教師が自分で言語単位に気づく、ということが必要かと思います。どうして自分はその言語単位に気づけたかを振り返った上で、授業ではそれをわかりやすく伝えるという形になるでしょうか。”The river burst its banks.”がよくある言い回しであることを調べるプロセスについては、『英語教育』2022年9月号(文献リストの野中 2022a)で紹介しましたので、そちらを見ていただけると参考になる部分があるかもしれません。
Q:翻訳業界の現場では、原文を読んだ際の自分の解釈に自信が持てない(自分の主観に頼っているだけで誤読していないかと不安になる)人が多いと思います。だからこそ翻訳者は、慎重になっていわゆる「直訳」に寄るのかもしれません。このあたりについて、先生方のご意見はあるでしょうか。
A:原文の意味を特定するためには、講演でお話しした通り、母語話者が参照している言語単位を見抜くこと、ジャンルや文体の特徴、発話意図といった多様な側面に注意することが必要だと考えられます。この表現はこういう意味だと確信を持って判断するためには、たくさんの実例に触れたり、各種ツールを通じて表現を観察したりすることが必要で、実際私たちが今回示した訳例もそのようなプロセスを経てたどり着いたものです。意味の判断に確信を持てるように、そのプロセスにできるかぎり時間をかけるというのが一番大切なことかもしれません。(もし原文の意味の特定に自信を持てていないなら、いわゆる「直訳」に寄せても何の解決にもなっていないと思います。)
Q:授業でいわゆる「直訳」(「文法通り」の訳)にこだわる学生はいますか。また、指導なさる中で、いわゆる「直訳」から「妥当な訳」に方向転換する学生も出てくると思うのですが、どのようなきっかけやタイミングで変わっていきますか。印象的な体験や傾向があればお聞きしたいです。
A:私たちが英文を日本語に訳す授業を担当してきた経験では、どの学生もだんだんと「妥当な訳」にシフトしていくと言えそうです。学生がいわゆる「直訳」をする場合は、直訳にこだわっているからではなく、課題にかける時間が少なく、英語の表現を調べるのを怠っているために、不十分とわかりながらも直訳せざるを得なかったときが多いようです。印象的な体験をパッと思い出して言うのは難しいのですが、今回の講演ほどまとまった形ではないにしても、どのようなことを目指して日本語に訳すのかを説明したり、英語表現の調べ方を紹介したりする時間を授業でしっかりと取っていることが効果を発揮しているのかと思います。
Q:和文英訳問題の和文は「こなれた日本語」が多くて、そのままでは英語にするのが困難に感じる生徒が多いように感じます。そこで、「中間言語」のように英語にしやすい日本語に直してから英語にするなどのテクニックが必要になると思うのですが、そのようなアプローチが語学としての英語学習に有効であるか否かご意見をいただければ幸いです。
A:有効かどうかに関する直接の回答は差し控えさせていただきたいのですが、ハンドアウトp. 9の図7の下の黒丸のところで補足したように、英語表現の意味を提示するにあたって英英辞典の定義やその和訳版を示すという方法もありえ、これはある意味で中間言語の利用と言えるかもしれません。
Q:少し認知文法の枠組みから外れてしまうかもしれませんが、日常会話、インタビュー、物語などの場面も、文法的な要素として捉えるなら、文化的な側面についてはどうなるのか、悩んでました。例えば日本に固有的な言葉(例えば、蕎麦)は、sobaとするか、説明的に訳すか、英語圏で似たようなものに置き換えて自然さを重視するのか…妥当な訳という点で考えても、どちらが妥当なのか判断が難しく感じました。
A:前後で韻を踏んでいる場合には soba から変えるのが難しかったり、麺類の話だということが決定的に重要な文脈であれば説明的に訳すまたはsobaに説明的な訳註を加えることが求められたり、と悩むことになるかと思いますが、まさにケースバイケースで悩むのが正しいというのが講演のポイントの1つでした。ハンドアウトの5.2.1節と5.2.2節の内容は、私たちがその場その場の事情に悩みつつどういう判断を下したかの事例になっています。また、文化的側面についてはハンドアウト内の I love you に関する議論をご参照ください。
Q:「妥当な訳」の蓄積が言語間の表現特性の違いを露わにするという方向の言語研究がありうるように思うのですが、言語研究→妥当な訳という方向性だけでなく、妥当な訳→言語研究という方向性もありうると考えていいものでしょうか。
A:そのように考えてよいと思います。私たち自身、「あれ、この英文は自分の手持ちの知識だけで和訳しようとすると妥当な訳にならないぞ」という違和感から英語の研究がスタートすることは非常に多いです。たとえば”Does this mean what I think it means?”のようなパターンは、まさに翻訳上の困難から英語のパターン(よくある言い回し)に気付くことができたケースで、 そのことはハンドアウト文献リストの平沢(2021c)でも論じています。
Q:”Does this mean what I think it means?” を「これってまさか?」といった発話意図を示す意味を理解するためには、この文の構造と語の意味を理解できていないとわからないと思うのですが、こうした表現はそうした構造を教えずに発話意図を示す意味を教えて覚えさせた方が良いのでしょうか?
A:「方が良い」かは色々な価値観によるかもしれませんのでなんとも言えませんが、私たち自身は授業をする際に構造も教えています。それに母語話者もフレーズ全体の発話意図だけでなくフレーズの構造も理解していると思いますし。より詳しくはハンドアウト文献リストの平沢(2021b, c)をご参照いただければ幸いです。
Q:「ある単語の意味を知っている」というのは、意味や語法だけでなく、それが使われうるコンテクストも頭に入っている、ということでしょうか。
A:はい。ぶっきらぼうな回答になって恐縮ですが、完全に「はい」としか言いようがないので、すみません。まさにこの講演の土台にある言語観の一部です。
Q:”Does this mean what I think it means?” (「これってまさか?」) などの表現は、語用論的に有標の表現と考えて、推意からそういった普通じゃない意味や伝わり方をする、と考えても問題ないでしょうか。(例えば、「この本は面白い/つまらなくはない」を”This book is interesting/not uninteresting.” のように、後者を使うことで意図的に違う意味を伝えるようなことでしょうか?)
A:「普通」という言葉をどのような意味で使っていらっしゃるのか正確に解釈できている自信はありませんが、一応お答えいたしますと、”Does this mean what I think it means?”のタイプの構文・言い回しは、「普通」な意味もそうでない意味も慣習化しており、英語母語話者であればその全体を記憶し日常の言語活動で利用していると思われます。
Q:講演のタイトルが「使用基盤モデルから考える…」ではなく「認知文法から考える…」であったのは、何か意図はあるでしょうか。使用基盤モデルの考え方は採用するが認知文法の考え方には(全面的には)賛成しないという立場があるとして、その立場から講演の内容について異論が生じる可能性があるとすれば、それはどの部分になるでしょうか。
A:まず、確認ですが、本講演では、「認知文法」を貫く言語観の名称として「使用基盤モデル」を捉えており、講演の中ではこの2つの言葉をほぼ交換可能な形で用いています。そのうえで、認知文法に基づかない研究者も「使用基盤モデル」という用語を用いることがあります。たとえば、ハンドアウトの2.2を認めながらも「意味とは指示対象だけだ。文体的特徴や発話意図などは意味ではない」のように考える人がいた場合、その人は使用基盤モデルを採用しながらも認知文法の考え方の一部に反対していることになります。このような人にとっては、4.2の議論に対して「いわゆる直訳とされるものは指示対象だけ見れば原文とちゃんと直に対応しているぞ。対応していないと論じられている文体的特徴や発話意図などは意味以外の何かだ」と反論することが可能になります。
Q:教育分野への示唆に関して、ハンドアウトでも引用されているFillmore “Frame Semantics” で論じている「フレーム意味論」を援用すると面白そうな気がしますが、いかがでしょうか。
A:本講演では2.3.2節で「捉え方」およびそれを支える「背景」という概念を導入してから最後までずっとフレーム意味論を援用していました。たとえば英語の[The river burst its banks]と日本語の「川の土手が決壊した」の対応は、「川」の全体像を背景に据えなければ――つまり「川」のフレームの知識を援用しなければ――見出すことも理解することもできません。フレーム意味論というのは時々持ち出すと便利な小道具、ちょっとした技、というような性質のものではありません。「意味とは徹頭徹尾こうなっているのだ」という言語観、哲学の提示であり、(そういう考え方をしていない人にとっては)パラダイムシフトを促されるものです。あるところでちょこっと採用して別のところでは引っ込める、というようなことができる代物ではありません。私たちは、意味と向き合うときにはどんなときでもフレームと向き合うという覚悟を持って、フレーム意味論の文献を引用したのです。
Q:最後の方で言われていた「体験」というのは、説明にあった、認知文法における意味の多様な側面(指示対象、捉え方、背景知識、発話意図、使用媒体など)を総合したもののことだと理解してよいのでしょうか。
A:実はこれは私たちとしても最後の最後まで悩み議論を重ねていたポイントです。Langacker自身は、我々の調べた限りでは、言葉の聞き馴染みのようなものを「意味」(講演では出さなかった専門用語で言うと「意味極」)の中には含めていませんが、意味の一側面と言えなくもない感じも一方でします。もしLangackerの言葉遣いから離れて、聞き馴染みも意味の一部だと考えるならば、おっしゃる通り「体験」は多様な意味的側面を統合したもの――つまりは結局のところ「意味」――だと言ってよいことになります。もしLangackerの言葉遣いに厳密に沿うならば、意味の諸側面に加えて 聞き馴染みまで含めて「体験」が構成されると考えることになります。意味と聞き馴染みの関係については私たちが今後考えるべき理論的な問題だと考えております。こうして悩みを打ち明ける機会を与えてくださったことに感謝いたします。
開催情報
■会場 オンライン(Zoomミーティング)
お申し込みいただいた方に、アクセス情報をご案内します。
■日時 2022年9月11日(日)14:00-16:00
※録画視聴はできません。当日のリアルタイム参加のみとなります。
■参加費 無料
■登壇者
平沢慎也 先生(慶應義塾大学専任講師)
2016年東京大学にて博士(文学)の学位を取得。現在、慶應義塾大学にて専任講師、東京大学にて非常勤講師。専門は、英語学、認知言語学。
主要業績:『メンタル・コーパス―母語話者の頭の中には何があるのか―』(くろしお出版、2017年、共編、分担翻訳)、“Why is the wdydwyd construction used in the way it is used?”(English Linguistics 33 (2)、2017年)、『前置詞byの意味を知っているとは何を知っていることなのか―多義論から多使用論へ―』 (くろしお出版、2019年)、“Native speakers are creative and conservative: What Explain Me This reveals about the nature of linguistic knowledge” (English Linguistics 38 (1)、2021年、西村義樹氏との共著)、『実例が語る前置詞』(くろしお出版、2021年)、「「自分で」を表わすfor oneself―「自分のためになる」の意味を含むというのは本当か―」(『東京大学言語学論集』、近刊)
野中大輔 先生(工学院大学学習支援センター講師)
2021年東京大学にて博士(文学)の学位を取得。現在、工学院大学学習支援センター講師、慶應義塾大学非常勤講師。専門は、英語学、認知言語学。
主要業績:『不確かな医学』(朝日出版社、2018年、翻訳)、「打撃・接触を表す身体部位所有者上昇構文における前置詞の選択―hitを中心に―」(『認知言語学を紡ぐ』、くろしお出版、2019年)、「語形成への認知言語学的アプローチ―under-Vの成立しづらさとunder-V-edの成立しやすさ―」『レキシコンの現代理論とその応用』、くろしお出版、2019年、萩澤大輝氏との共著)、「TED Talksのデータを検索して英語を学ぶ、教える、研究する―TED Corpus Search Engineの可能性― 」(『東京大学言語学論集』 第43巻、2021年)、“Verbs of seasoning in Japanese, with special reference to the locative alternation in English”(The Language of Food in Japanese: Cognitive Perspectives and Beyond, John Benjamins, 2022)、「日本語の心理動詞と心理慣用句―フレーム意味論とフレームネットの観点から―」(『フレーム意味論の貢献―動詞とその周辺―』、開拓社、2022年)
なお、二人の共著として「認知文法・使用基盤モデルにおけるサピアの現代的意義」(『日本エドワード・サピア協会研究年報』第36巻、2022年)、共同連載として「実例から眺める「豊かな文法」の世界」(『英語教育』、2021年4月号から2022年3月号)がある。
講師から
英文の意味を知りたいと思ったときに「先生、この英文の訳を教えてください」と言って質問したことはないでしょうか。また、英語の和訳問題を解いているときに「良い訳を思いついたけれど、これは意訳しすぎと言われるかな? やっぱり直訳しておこう」と思ったことはないでしょうか。こうした日常的な言葉遣いの背後には、訳と意味は同じであるという想定、直訳は意訳と違って英語の何かと「直」に対応しているという想定が隠れています。この講演では、こうした想定が本当に正しいのか、講師2人が専門としている認知文法という言語理論の観点から考えてみたいと思います。といっても、受講にあたって言語学の知識は必要ありません。訳すという行為そのものについて、そして言葉の意味というものについて関心を寄せる多くの方々にご参加いただければと思います。
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