イベント(言語学)
オンライントークイベント:「させていただく」大研究
講師:
椎名美智 先生(法政大学文学部教授)、滝浦真人 先生(放送大学教授)、飯間浩明 先生(国語辞典編纂者)
日時:
2023年2月23日(木) 14:00 - 16:00
場所:
オンライン
こちらのイベントは終了しました。ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。
「発表資料」と、「お寄せいただいた質問と、登壇者からの回答」を公開しますので、参考にしてください。
なお、本イベントの内容などを踏まえた記事が、「読売新聞オンライン」に掲載されました。下記リンク先からご覧いただけます(一部読者会員限定)。
「させていただく」は“へりくだり界の救世主”…批判されても、なぜこんなに広がった?(編集委員・伊藤剛寛氏) >
●発表資料
下記リンク先から、それぞれPDFで閲覧いただけます。
※無断での複製や転載はしないでください。
●お寄せいただいた質問と、登壇者からの回答
Q:最近、特に若い人は、自分が好意で行うことが他人にとって迷惑ではないかと思ってためらう傾向があるようです。このような態度が「させていただく」に表れているようにも思いますが、どうでしょうか?
A(椎名):最近の若い方は謙虚な振る舞いをする傾向が強いので、そういうことは大いにあると思います。近距離で言葉を交わしたり、直接的な言葉のやりとりをすると、傷つけたり傷つけられたりする危険性が高まるので、それを避けるために、距離感をとって間接的な物言いをする傾向が以前よりも強いような印象を受けます。他者からNoと言われないようにしている、またはNoと言われても大丈夫なように、最初からセイフティーゾーンを確保している感じがします。
Q:「させていただく」が一人勝ちになっている理由には、尊敬語と謙譲語が混乱している中で、無難な表現のひとつ(消極的な選択肢)として広がっている側面もあるのでしょうか?
A(椎名):尊敬語や謙譲語として別の語彙がある場合、それらの語彙を正確に知らないと、相手に謙譲語を使ったり、自分に尊敬語を使ったりして、失礼な物言いになってしまいます。しかし、常にきちんと自分が謙っていれば、相手に失礼ではないし、間違いはありません。おっしゃる通り、若い人の場合、「させていただく」は、そうした間違わない安全・安全な謙譲語として使われているのだと思います。
Q:「させていただく」は敬語が美化語に向かうことを暗示している、というお話しがありましたが、つまり敬意漸減は、美化語化することによっていずれ止まるということなのでしょうか? また、逆に敬意が時代を経て強化される用例などはあるのでしょうか?
A(椎名):言語は常に変化するものなので、使われているうちに、意味や用法が変わったりします。
おっしゃっているような「止まる」という現象は、変化しないということなので、もう その言葉は使われなくなっていることを示唆します。ここで申し上げた美化語化するというのは、言葉づかいが全体的に、そのようになっているという意味でした。
ただ、特定の語彙に注目すると、美化語化する前に使われなくなったり、他の 言葉にシフトする言葉はあると思います。
おっしゃっている「敬意が時代を経て強化される」というのは、「敬意漸増」 ということになりますよね。もし、そういった例があったら、とても面白いと思いますが、私は自分でそういった現象を見つけたり、調査したことがないので、残念ですが、明確にお答えすることができません。質問してくださった方は、ご自分で何かそういった例が 頭に浮かんでいるんでしょうか? もしそうだったら、教えていただいて、一緒にその言葉やその使い方の変化を調べたら面白そうですね。
Q:敬意が逓減するなかで、どんなタイミングで新しい使い方が出てくるのか、また新しい言葉はどのようにして定着していくのか、聞きたかったです。「させていただく」は、また新しい言い方に置き換えられるのでしょうか? また、「させていただく」ばかりが便利に使われると、言葉の多様性という点からは何か問題があるのでしょうか?
A(滝浦):敬意漸減とはまずもって“目上に対して使いにくくなる”現象です。目上に使おうと思ったときに躊躇われたり、使っても特段の敬意が感じられないように思われたら、敬意がすでにすり減っている印です。それがある程度進行して、ほとんど上位待遇的なニュアンスを感じられなくなると、もはや“上向き”の言葉としては使えませんので、そうなると言葉の“代替わり”が生じてきますね。ただそれは、いきなり新語のように新表現が登場するのではなく、「させていただく」がそうだったように、すでにある表現の用法をずらしていくような形での定着も多いと思われます。
現在は、「させていただく」の内部で、「させていただきますね」や「させいただいてもよろしいでしょうか」といった敬意の“補強”が行われている段階ですが、いずれそれでは間に合わなくなると、別表現への代替わりが起こるでしょう。ある特定の形への“なだれ込み”現象については、コミュニケーションを痩せさせてしまうとも見えるので、ちょっと喜べない感じもします。
Q:「てやる」が現代ではあまり使われないとのことですが、第三者からの助言での形では、よく使用されるのではないかと思います。「許してやりなよ」「迎えに行ってやりなよ」などは、どのように捉えられるでしょうか?
A(滝浦):与える恩の表現において、対二人称の用法と対三人称の用法を比べると、敬意漸減は対二人称用法の方から始まり、かつ速く進行します。面と向かって相対する相手に“恩を与える”ことを言うのは、恩着せがましくなりやすいからですね(『「させていただく」大研究』第1章9節もご参照ください)。「(て)やる/あげる/さしあげる」のいずれでも、対三人称用法の方はまだ(十分に)“使える”言い方の範囲に留まっていると言えるでしょう。
Q:「~てもらっていいですか」という言い方が、どうしてこんなに使われるようになったのか、なぜ「させていただく」と同様に、ちょっと気持ち悪い印象を受けるのかが知りたいです。
A(滝浦):モラウ系の基本は、主語が自分側であることによって“相手に触れない”で済むところにあります。“相手に触れる”言葉であるクレル系を丁寧に言うのがスタンダードだったものが、モラウ系で相手に触れることを避けながらへりくだるという方式へと人びとの選好が変わってきた流れの上に、「~てもらって(も)いいですか」という(許可求めの)言い方も位置付けられます。言われた側がそれを気持ち悪く感じるのは、“指一本触れずにもらうだけもらっちゃうけど”ということの許可を求められても、どう答えたらいいんだよ、、という居心地の悪さがあるからでしょう。トークイベントでも触れましたが、「お命頂戴!」という時代劇のタイトルの可笑しみは、どんなにへりくだられてもOKとは言えない“もってくだけもってっちゃう”感にあるからでしょう。
Q:辞書類での扱いについて、手元にある国語辞典をいくつか確認してみたところ、『三省堂国語辞典』のように「させていただく」を立項している辞書もあれば、『新明解国語辞典』のように「せる」の項目で説明している辞書もありました。こうした辞書類における受け容れ方の違いについて、もう少し詳しく知りたいです。
A(飯間):「させていただく」を、『三国』はひとつの助動詞と捉え、『新明解』は「(さ)せる+て+いただく」という連語と捉えています。あることばを1語と認定するかどうかというところに辞書ごとの考え方の違いが現れています。『三国』第8版では、「かもしれない」「ざるをえない」など、動詞に付属し、固定した意味用法を持つことばについては、もはや1単語と考えて助動詞としています。これまでの辞書は、単語の認定に慎重だった結果、「連語」という曖昧な性格のことばを数多く作ってしまいました。はたしてそれでいいかという疑いを『三国』は持っています。
Q:もし、違和感のある「させていただく」の使用を指導されたり、逆にあらゆる「させていただく」使用を間違いだと言われたり、ということがあったとしたら、どのように対処するのがいいのでしょうか?
A(飯間):「させていただく」に限らず、いろいろな用語に関して、自分の属する集団で統一ルールがあるならば、それに従ったほうが集団としての統一性が保たれます。問題は、そのルールが明らかに自分自身の言語感覚と食い違う場合です。その場合は、(1)ルールの修正について徹底的に話し合う、(2)とりあえず従う姿勢を示しつつ、個別の事例では自分の言語感覚を加味する、という2つの方法があります。統一ルールというほどではなく、上位者の好みにすぎないルールならば、その人の前でだけ従うという方法もあります。
Q:ファミレスでアルバイトしていましたが、確かに「いたします」より「させていただきます」を多く使っていたような気がします。でも、「させていただきます」は言いにくいし、言うのに1~2秒よけいにかかるので、「いたします」に戻した方が良いと思っています。そんなことにはならないでしょうか?
A(飯間):基本は、ご自身の言語感覚に照らして、違和感がない言い方が一番です。「させていただきます」よりも「いたします」のほうがいいと感じられる場面では、そのように言うのがベストでしょう。なお、「させていただきます」「させていただきたく存じます」のように、長く言ったほうが丁重に感じられるという側面もあります。同じ意味のことを言うとしても、時と場合、相手などによって選ぶ表現は変わってくるでしょう。
Q:そもそも先生方は何がきかっけで、この言語の海に飛び込んだのでしょうか? とても興味があります。
A(椎名): 小さい頃から、言語の規則性や例外的用法、標準語と方言、人が書いた文章や人の話し方の「癖」に興味がありました。
高校生の頃は、漢文、古文、現代文、英語の文法書を、「参考書」としてではなく、「読み物」として、繰り返し読んでいました。通訳者になろうと留学したエジンバラ大学で文体論に出会い、これこそが自分が求めていた研究分野だと思い、気がついたら「言語沼」にどっぷりハマっていました。A(滝浦):「この言語の海」の意味が“こういうコミュニケーション研究”という意味なら、もともと自分が「何で人びとは当たり前のようにコミュニケーションがとれるんだろう???」と思うくらいの“コミュ障”だから(だったから)、というのが答えとなります。笑
もう少し「させていただく」に引きつけて答えるならば、目の前で起こっている変化のように見える現象に興味を持ったら、その前はどうなっていたんだろう?との興味が出てきて、さらには、そもそもいつからあって、どんな順序で現れてきたの?という具合に、いつのまにか歴史語用論の問題となって、さらにはそれが、自分の“与える恩”をどう表現するかについての日本の人びとの心持ちの変遷を書き記すような営みだとわかったら、もうすっかりハマってしまっていましたとさ、、というようなことになります。笑A(飯間):私の場合、ある日ある時にきっかけがあった、というわけではありません。少年の頃から、単語をいろいろな方法で組み合わせて、情報や考え、思いをお互いに届けあう、というシステムが面白くて(or不思議で・苦痛で)しかたなかったのです。このシステムをうまく機能させるためには、ことばのことをよく知り、知り得たことをメモしておく必要があります。そのメモが一冊にまとまったものが、自分たちの作る国語辞典というわけです。
●開催情報
『「させていただく」大研究』(2022年12月刊)が発売即重版となったのを記念し、椎名美智先生、滝浦真人先生、飯間浩明先生をお迎えしてオンライントークイベントを開催します。
■会場 オンライン(Zoomウェビナー)
■日時 2023年2月23日(木・祝)14:00-16:00 ※録画配信はありません
■参加費 無料
■登壇者
椎名美智 先生(法政大学文学部教授)
お茶の水女子大学大学院博士課程満期退学、ランカスター大学大学院博士課程修了(Ph.D)、放送大学大学院博士課程修了(博士(学術))
専門は歴史語用論、コミュニケーション論、文体論
主な著書:
『歴史語用論入門―過去のコミュニケーションを復元する―』(共編著)大修館書店、2011年
『「させていただく」の語用論―人はなぜ使いたくなるのか―』ひつじ書房、2021年
『「させていただく」の使い方―日本語と敬語のゆくえ―』角川新書、2022年
など
滝浦真人 先生(放送大学教授)
東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退、博士(文学)(北海道大学)
専門は言語学、語用論、イン/ポライトネス論
主な著書:
『日本の敬語論―ポライトネス理論からの再検討―』大修館書店、2005年
『ポライトネス入門』研究社、2008年
『日本語は親しさを伝えられるか』岩波書店、2013年
など
飯間浩明 先生(国語辞典編纂者)
早稲田大学第一文学部卒、同大学院文学研究科博士後期課程単位取得
『三省堂国語辞典』編集委員
主な著書:
『小説の言葉尻をとらえてみた』光文社新書、2017年
『つまずきやすい日本語』NHK出版、2019年
『日本語はこわくない』PHP研究所、2021年
など
椎名先生から
『「させていただく」大研究』の重版を記念して、国語辞典編纂者の飯間浩明さんをお招きして、みんなが気になる「させていただく」について、番外編トークイベントを行います。
飯間さんには「敬語の恩人」としての「させていただく」について、滝浦さんには「させていただく」の背後にある日本語の宿命について、お話ししていただきます。椎名は各論の論点を縫い合わせながら、外せないポイントを解説します。3人が寄って集って「させていただく」現象について論じたあと、フロアーを交えて場外乱闘(質疑応答)へとなだれこむ予定です。お楽しみに。ところで、表紙で「させていただく」について何やら呟いている青年は、いったい誰なのでしょうか? これも飯間さんに聞いてみましょう。
このイベントのチラシ >
『「させていただく」大研究』書誌情報 >
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受付を終了しました。