イベント(英語)

オンライン講演会:実例とのたわむれかた ―英語の前置詞を中心に

講師: 平沢慎也 先生(慶應義塾大学専任講師)
日時: 2021年6月19日(土) 14:00 - 16:00
場所: オンライン

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実例とのたわむれかた ―英語の前置詞を中心に

こちらの講演会は終了しました。
お申し込み・ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。

【2021/07/07 参加者のみなさまからの質問と、講師からの回答を掲載】

●お寄せいただいた質問と、講師からの回答

※下記、ハンドアウト(資料)への言及がある質問もありますが、ハンドアウトはご参加者のみに配布し、公開はしておりませんのでご了承ください。
※質問意図が汲めなかったものについては、掲載を省略させていただきました。また、質問文の体裁を一部変更(内容の変更はなし)して掲載したものもありますが、ご了承ください。

Q:例文の中のonの発音で発音記号 ɑːnとɔːnがありましたが、どのように使い分けるのか教えてください。

A:これはミスです。どちらかに統一するべきでした。失礼いたしました。

Q:非常に抽象度の高い、例えば[VP on NP 人間]は人の脳内には存在しうるが、参照はされていない、という認識で大丈夫だったでしょうか。

A:はい、(今のところ)そのように考えております。

Q:抽象性の高いもの、具体性の高いものに個人差が生まれるがその違いは何によって生じるか、といった質問をされていたのを見て、私も疑問に思ったことがあります。もしかすると的外れな質問となってしまうかもしれませんが、質問させてください。今回、先生は前置詞onの用法についてお話ししてくださり抽象化について説明される際に「ありうる抽象化」を3つ挙げてくださいました。先生も「ありうる」という言葉をお使いになられているので、この抽象化というのは個人によって抽象化の仕方が異なるということを示唆しているのかなと思いました。その異なる抽象化の仕方が個人の容認性判断の差に反映されるということなのでしょうか。

A:はい、(今のところ)そのように考えています。関連する論文に以下のものがあります。Dąbrowska, Ewa (2020) Language as a phenomenon of the third kind. Cognitive Linguistics 31(2): 213-229.

Q:第2言語を学習するときに、構文や助詞の抽象化した規則を教える/覚えることについて先生はどのように考えられますか。

Q:「自然科学を学ぶようには言語を学ぶことはできない」という先生のご発言は、日々の授業実践で強く実感していることを肯定していただいたようで、大変心強く思いました。今回のご講演は「『母語話者』が発話に際してどのような構文を参照にしているか」という趣旨であることは十分に理解していますが、言語教育に携わる者としては、それでもこの知見が「どう実際の言語教育に生かせるのか」という点をもっと深く知りたいという思いが強く残ります。野中大輔さんのコメントの中で簡単に触れられてはいましたが、言語教育への応用という点に関して平沢先生のご意見もお伺いできれば、ぜひ参考にさせていただきたいと思います。

A:学習者個人の目標やレベルによると思います。このあたりのことについての私見は近刊の拙著『実例が語る前置詞』に書いておりますので、刊行後にご確認いただけたら幸いです。

Q:通常人間は具体的な知識を参照するということについて、知識が抽象化するにつれてアクセス負荷は強くなるでしょうか。->後半の講義内容から、アクセス負荷は強くなり、容認性は低くなる傾向にあると理解しました。

A:抽象度の高い知識を参照して作られた新規表現ほど容認しない話者が増えてくるということは言えます。「負荷」については「負荷」の定義によるかと思います。

Q:Don’t present the research on me! が一般的な表現ではないことを踏まえた上で、onを[迷惑のon]と考えて「そういう意味の発言である」と解釈すること自体は可能でしょうか。可能でない場合、考えられる理由は何でしょうか。あるいは解釈が可能である場合、解釈しにくくなっている理由は何でしょうか。

A:無理矢理解釈することは可能だと思います。解釈しにくいのは「あー、あのよくあるパターンの一例ね」と思えるパターンが母語話者の脳内に存在しないからだと思います。 講演で取り上げた fell silent on her という言い方を容認する話者が(少なくともある程度)いるのは、おそらく「あー、よくある<関わり断絶>パターンの一例ね」と思えるからで、このようなパターンが don’t present the research on me の場合には存在しないわけです。

Q:響き特定構文を用いることで創造的言語使用が可能であるとする際に、特に pratter on や yather on のように本来存在しない動詞を生み出してしまうケースで動詞そのものに意味がないとき、その表現の意味の拠り所はどこになっているのでしょうか。例えば、音(響き)に意味が宿っている(あるいは音や響きから意味を推測している)とするべきでしょうか、それともonから意味を推測していると考えるべきでしょうか。

A:意味は響き特定構文全体に宿る、と考えています。

Q:響き特定構文を用いるときには、本来の単語の意味とonを組み合わせているというよりも、音の響きとonを組み合わせているという意識が強いと考えられるのでしょうか。その場合、例えばblabber onなどのケースでは単語は形骸化している(単語自体は意味を失っている)場合もあると言うこともできるでしょうか。

A:響き特定構文の知識を参照するということは、すなわち、いちいち響きやonやaboutを足し合わせるという足し算はしないということです。足し算をしないといってもパーツとなっている単語の意味が失われているとは限りません。たとえば日本語で「電話に出る」は丸ごと覚えている言い方で、母語話者であればいちいち「電話」と「に」と「出る」の足し算なんてせずに使用していますが、だからといって「電話」の意味が消えているわけではありません。これと同じ話です。

Q:いわゆる構文文法(Construction Grammar)の主張と大筋では違いがないように思うのですが、明らかに異なる点があればご教示ください。

A:「構文文法」のなかには性質が大きく異なる複数の流派があるのですが、認知文法と大筋では違いがないとおっしゃっていることから考えると、Adele E. Goldbergの最近の考え方のことをおっしゃっているのかと思います。たとえば2019年のExplain Me Thisという本で提示されている考え方はたしかに非常に近いですね(Hirasawa, Shinya & Yoshiki Nishimura (to appear) “Native speakers are creative and conservative.” English Linguistics 38 (1)で明示的に論じています)。しかし違いもあります。たとえば、言語の単位を形と意味のペアだと考えるところは共通していますが、何を「形」とみなすかが異なっています。これについては坪井栄治郎・早瀬尚子(2020)『認知言語学(1):認知文法と構文文法』(開拓社)の第5章と第9章をごらんください。

Q:音象徴的な分析は興味深いものがありましたが、オノマトペ起源と思われる動詞が用いられている点も重要だと思います。また、pratter、yatherは古い英語としてはあるようで、現在でも方言には存在するようです。

A:ご教示いただいて、ありがとうございます。そうなんですね。「pratterやyatherを単語単体としては知らない母語話者でも、pratter on about NPやyather on about NPの意味が分かってしまう」ということは依然として保たれるので、今回の講演のあの箇所で私が言おうとしていたことは維持されると思うのですが、歴史的にも方言としても存在しない例を出せると理想的でしたね。

Q:5のところにあったLangackerの使用基盤モデル(usage-based model)と、Michael Tomaselloの言語習得理論の用法基盤モデル(usage-based model)は関係がありますか。

A:関係があるどころか、同じものです。

Q:最後の方で野中大輔先生から「参照」がキーワードというお話があったので、お伺いさせていただきます。「参照する」とはどういうことでしょうか。「誰が」「何を」参照するのでしょうか。「誰が」が話者自身、「何を」が話者自身の持っている知識だとすると、話者は発話のたびにある種のメタ認知のようなことをしている、ということになりますでしょうか。参照する行為者としての話者自身の頭の中はどうなっているのでしょうか。(ホムンクルスの無限退行問題?)

A:「誰が」は話者自身、「何を」は話者自身の持っている知識です。「話者は発話のたびにある種のメタ認知のようなことをしている」とは考えていません。そのような場合もあるにはあるでしょうけれども、まれだろうと思います。

Q:実例の収集・整理について質問があります。私は関係節に関心を持っています。そこでお聞きしたいのですが、比較的長い実例を収集・整理する場合に工夫されていることはありますか。

A:どんな単語・構文・表現の実例を書き留める場合であっても、発話意図がはっきりと分かるだけのコンテクスト情報を含めるようにしています。前後100 wordsくらいを記録すれば後で見直したときに発話意図が分かりそうだと思えたら、前後100 wordsくらいを記録します。それでは分からなさそうだと思ったら、ハンドアウトにあるように[状況説明]を書き足すようにしています。

Q:母語獲得途中の子どもがよく用例を拡張しすぎて言い間違えることがあると思うのですが、それは創造的言語使用とはまた別の話と考えた方がいいのでしょうか?創造的言語使用では、抽象度の高い知識が参照されるということは、そもそも抽象度の高い知識の存在が前提になっているのかなと思いました。子どもの言い間違いが別であるとすれば、使用基盤モデルではどのように捉えているのでしょうか?

A:どのような「言い間違え」を想定していらっしゃるか分からないので断言はできませんが、基本的に別の話ではないと答えてよいかと思います。子どもの発する言葉と使用基盤モデルの関係については、詳しくはハンドアウトの参考文献にあるTomasello(2003)をご参照ください。

Q:参考文献以外の書籍論文等で、前置詞を教える際に活用できるものがございましたら教えてください。

A:私自身が書いたものとしては以下のものがあります。両方とも英語教師を想定読者に含んでおりまして、言語学の知識を前提とはしないものです。
平沢慎也(2019)「aboutは「について」か」『東京大学言語学論集』41: 71 – 102.
平沢慎也(2018)「for all I knowの意味と使用、動機付け 」『東京大学言語学論集』40: 51-84.
他に、これは完全な学術論文ですが、throughの研究をしているCarey Benom氏の論考もおすすめします。無理なこじつけをせずに言語事実をありのまま、素直に捉える姿勢に特に注目していただきたいです。
Benom, Carey (2007) An empirical study of English through: Lexical semantics, polysemy, and the correctness fallacy. Doctoral dissertation, University of Oregon.
Benom, Carey (2014) English through and the gradience of force dynamics. International Journal of Cognitive Linguistics 5(1): 29-51.
Benom, Carey (2015) The correctness fallacy and lexical semantics. 『九州大学言語学論集』35: 137-172.

Q:高校生のころから英語例文に没頭していた平沢先生にぜひ伺いたいのですが、専門的な英語学を学ぶ段階で、生成文法にすすむか認知文法にすすむかの分岐点があったと思います。両方学ぶ期間があったと思いますが、最終的に認知文法を選ばれた理由や最近の生成文法的なアプローチに対する思い、気付きがあれば教えてください。

A:昔から、「母語話者が実際に使っている英語とそっくりの英語を自分も書いたり話したりできるようになりたい」(…これをXとします)というただそれだけしか考えていなかったので、生成文法に進む可能性について検討したことはありませんでした。願望Xが生成文法の探求と相性の良くないものである理由は、おそらくこの質問をなさる方ならご存知かと思いますので、説明を端折らせていただきます。

Q:高頻度表現(慣習的言語使用)は辞書に載っているものもあれば載っていないものもあるかと思います。こうした辞書や学習者向け教材にはあまり記載されていないが母語話者は高頻度で用いる表現を学習するには多読・多聴などで多くの実例に触れるのが有効でしょうか?またその際に心がけるとよいことは何かありますか?

A:実例に触れることに加えて、特に英英辞典で採用されている「例文中の太字」に注目するという学習姿勢も有益かと思います。たとえばロングマン英英辞典のウェブ版で follow を調べてみてください。例文を見てみると、follow 以外の部分まで太字になっているところがあります。これは本講演の言い方で言うと「慣習的言語使用ですよ」「よくある言い回しですよ」「母語話者なら丸ごと聞き覚えのあるフレーズとして覚えていますよ」という意味です。

Q:ハンドアウト14ページめの図6について質問があります。図において、close the door on NPとcancel on NPは、階層が別であるように示されていますが、どちらも具体的なインスタンスであり、ここに抽象化の階層の違いがあるのはどうしてなのか、疑問に思いました。

A:「どちらも具体的なインスタンス」です。厳密には、1箇所だけNPという空箱になっていて、それ以外の箇所は語彙が特定・指定されているという意味で、同じくらい具体性の高いインスタンス、ということになりますが、おそらくその意味で「どちらも具体的なインスタンス」とおっしゃっているのですよね。でしたら、はい、まさにそのように考えております。その意味では「抽象化の階層の違いがある」とは考えておりません。おそらく「抽象化の階層の違いがある」と感じられたのは、(i) close the door on NPとcancel on NPが異なる高さに描かれているからか、または、(ii) cancel on NPの方は「関わりとの断絶」との間に中間的な抽象度の知識が想定できるからかと思います。(i) の場合には、空箱の数が同じである表現を同じ高さに揃えて横にズラッと並べて図示すると、図が横長になりすぎてそれにより肝心の文字が小さくなって見づらくなってしまうので、すみません。(ii) の場合には、ある商業施設には1階から2階へと続く階段が2つあって(北側と南側)、北側の階段には踊り場がないのだけれども、南側の階段には踊り場がある、のようにお考えください。close the door on NPもcancel on NPも1階にあります。「関わりとの断絶」は2階です。「約束不履行」は踊り場です。この踊り場があるからといって、cancel on NPが1階ではないということにはならないですよね。

Q:どこからが慣習で、どこからが新規なものかというのがはっきりしませんでした。たとえば、非オモシロ型新規表現の(3a)から、「X買ってくる」という表現を慣習としてみなしていないということだと思うのですが、このようにスロットがある表現を慣習的表現なのか新規表現なのかどちらなのかという判断はどのようにして行っていますか。「X買ってくる」は(「XをYする」という表現の「を」をなくした)「XYする」というさらに抽象的なレベルを想定することもできるからでしょうか。私の感覚的には、「Xを買ってくる」と「X買ってくる」(「XをYする」と「XYする」)では、多少かもしれませんがニュアンスが異なり、後者は高頻度に使用されるとも思われるので、「X買ってくる」「XYする」も慣習的と言われれば慣習的な気もしてきます。

A:慣習と創造は連続的なものであり、境界がはっきりしないという考え方こそ正しい、そしてそのような連続性を適切に捉えられるところも使用基盤モデルの強みだと考えています。ご質問の本文に「非オモシロ型新規表現の(3a)から、「X買ってくる」という表現を慣習としてみなしていないということだと思うのですが」とありましたが、いえ、そうは考えておりません。講師が非慣習的と言っていたのは、「X買ってくる」のXに「歯磨き粉」を入れた「歯磨き粉買ってくる」という形そのものについてです。「X買ってくる」は慣習的である(度合いが高い)と思います(つまり、「Vてくる」のVスロットに「X買って」を入れるという足し算を発話の現場でやっているのではなく、「X買ってくる」というかたまりの知識を直接的に参照していると思います)。

Q:言語行為論に近い研究背景の者ですので、少し勘違いした質問かもしれませんが、思い切って質問します。[1]drummerの例は人を「描写する」ような行為で用いられ、[2]with your eyes closedは(「(だから)素人でも見分けられるよ!」というような状況で)「説得する」行為に用いられているような気がします。[1]と[2]の行為の種類が違うこと(これら発話が「どのような行為(action)を構成しているか」ということ)と、慣習-創造の表現の連関はあると考えられますか?例えば、Onの場合、Don’t VP on meだと「非難する」という行為に用いられやすい”ために”、そこに創造的な語が入っても理解可能になる、などの方向性について、どのように思われますか?

A:[1] と [2] では〈行為〉の種類が異なるというふうに私も感じます。しかし〈行為〉の種類が異なることと、慣習的である程度との間にある関連は簡単には論じられないように感じます。たしかに、子どもにとって理解しやすいタイプの発話意図とそうでない発話意図があることは知られているので、子どもにとって覚えていやすい〈行為〉とそうでない〈行為〉があるとは言える(結果として、子どもにとって慣習的と感じられる〈行為〉とそうでない〈行為〉があるとも言える)と思いますが、大人の場合にはことがもっと複雑になると思います。たとえば有無を言わさない命令が飛び交う環境で働いているか、客観的に事態を描写するようにして言葉を紡ぐことがコンスタントに求められる環境で日々過ごしているかなどによって、どのような〈行為〉が慣習的になるかは変わってくるのではないかと思います。「例えば」以降については、「例えば」よりも前の内容の「例」として解釈することができなかったため、回答を差し控えさせていただきます。すみません。非常に興味深い観点だと感じましたことを最後に付け加えさせていただきます。

Q:大変興味深く楽しく参加させていただきました。言語学については初学者なのですが、認知言語学の授業で基本レベルの効果について学習し、今回のご講演で使われていた図と、カテゴリー化についての図が似ているように感じました。今回の講義で、知識定着の高いものとされていた表現は基本レベルと並ぶものと考えることはできますか。

A:まず、復習から入らせてください。本講義で何度も登場した、「定着している知識の中で最も具体性が高く、発話の現場でアクセスされる知識」は個人によって異なります。たとえば、「脚の毛を剃った状態で」を英語で言おうとした場合を考えてみましょう。with one’s legs shaved を口癖のように言う一風変わった親に育てられた個人は、with one’s legs shaved という極めて具体的な表現が脳内で定着しているので、with one’s legs shaved の知識そのものにアクセスすればよいですが、そうでない普通の親に育てられた人の場合には、with one’s legs shaved そのものの知識は定着していないので、1つ上の抽象度の with one’s legs X の知識にアクセスする(そして X に shaved を入れるという足し算をする)ことになるでしょう。さて、本題ですが、おそらく認知言語学の授業で学習なさった「基本レベル」は、こうした「アクセスされやすい知識」の抽象度の、社会全体の平均値と考えればよいかと思います(「脚の毛を剃った状態で」に相当する内容を英語母語話者が言おうとするという例では with one’s legs X が平均値であり「基本レベル」に相当すると思います)。基本レベルはあくまでも平均値であるというのは(認知言語学の入門書であまり強調されていないかもしれませんが)重要なポイントだと思います。たとえば、「犬」のレベル(抽象度)と「秋田犬」「チワワ」「ポメラニアン」のレベル(抽象度)を比べてみると、「基本レベル」は犬の方だと思いますが、犬のブリーダーの仕事をしている個人や犬好きの個人はある犬を見たときに「あ、犬だ」ではなく「あ、{秋田犬/ポメラニアン/チワワ}がいる」と思う(「犬」のレベルよりも「秋田犬」「チワワ」「ポメラニアン」のレベルの方がアクセスされやすい)でしょう。

開催情報

■会場 オンライン(Zoomミーティング)
■日時 2021年6月19日(土)14:00–16:00
■参加費 無料

■講師 平沢慎也 先生(慶應義塾大学専任講師)
1986年、神奈川県生まれ。2016年東京大学にて博士(文学)の学位を取得。現在、慶應義塾大学にて専任講師、東京大学にて非常勤講師。専門は、英語学、認知言語学。
主要業績:「仕組みを理解することと,丸ごと覚えること—sit up and take noticeから学ぶ— 」(『東京大学言語学論集』37: 71-90、2016年) 、『メンタル・コーパス―母語話者の頭の中には何があるのか―』(くろしお出版、2017年、共編、分担翻訳)、“Why is the wdydwyd construction used in the way it is used?”(English Linguistics 33 (2)、2017年)、『前置詞byの意味を知っているとは何を知っていることなのか—多義論から多使用論へ—』 (くろしお出版、2019年)、「英語の接続詞 when—「本質」さえ分かっていれば使いこなせるのか—」(『認知言語学を紡ぐ』、くろしお出版、2019年、分担執筆)、「about は「について」か 」(『東京大学言語学論集』41: 71-102、2019年)

講師から
私は英米のTVドラマや映画、小説などが大好きです。ストーリーが面白くて楽しいとか、好きな役者さん目当てとか、そういうことも多少はありますが、なにより英語の実例に出会えるのが嬉しいのですね。「うわあ、こんな英語、自分じゃ言えない!使えるようになってみたい!」と思うような表現がたくさん出てきます。

そういう表現に出会ったとき、私は考えます。

「このとき英語母語話者(ドラマや映画なら脚本家、小説なら作者)はどんな知識を参照することによって、この英文を発したのだろうか?」

今回の講演では、私が実例に出会い、問いを立てるまでのプロセスや、一定の答えに到達するまでの間に何をしているのか――いや、実は何をしていない・・・・・のかがポイントなのですが――を具体的にお話したいと思います。

事例研究として、前置詞・副詞のonのいくつかの用法を取り上げます。慣習的な高頻度の使い方と創造的な低頻度の使い方の両方をカバーする考え方を提示します。

受講者としては、(1)英語の教員、(2)英語の言語学的な研究に関心がある方、(3)単語も文法もマスターしたはずなのに自然な英語がアウトプットできず悩んでいる中上級の英語学習者、(4)「自分は英語を愛している、けれども愛しきれていない感じもする」とモヤモヤしている方を想定しています。こうした方々に何かしらのヒントになるお話ができればと思います。なお、言語学の知識は前提としません。

■本講演会参考書
前置詞byの意味を知っているとは何を知っていることなのか メンタル・コーパス

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